お疲れ様です モスパラです
今日はタイトルにもあるように、白雲抱幽石について考えていきましょう
で、これなんやねん(# ゚Д゚)
(はくうん ゆうせきをいだく)と読みます
禅の言葉です
これが、モスパラがテーマにする苔テラリウムとなんの関係があるの?
この言葉の意味を探っていきましょう
白雲がゆったりと広がり、石を抱いている
枡野俊明 おだやかに、シンプルに生きる より
とあります
世俗との関わりを絶ち、静かに隠遁生活を送る
禅僧はそんな環境を求め、そのような環境にこそ修行の場があると考えられていたそうです
これはつまり「孤独」です
禅僧は孤独の中でこそ修行が出来、仏に近づけると考えたのでしょうか
人との繋がりに重きを置く現代では、「孤独」であるということは難しいと思われます
家族があり、仕事に行けば同僚や上司、部下がいて、出かければ買い物客や道ですれ違う人もいるでしょう
スマートフォンを開けば誰かの生活を切り取った情報が逐一入ってくる
流れるように情報が入ってくる現代では「孤独」であることが難しいです
しかし、一人になる時間はあるはずです
仕事の帰り道に一人車を運転していたり、一人暮らしなら家に帰れば一人になる時間が自然とできます
その「孤独」な時間は、貴方の時間です 何を考えたっていい時間
しかし、考えてしまうのは(仕事で怒られてしまった・・・)(上司に叱責された・・・)(同僚の噂話はうんざりだ・・・)
など、「思考のノイズ」ばかりではないでしょうか
考えても仕方ないと分かっていても、ノイズが頭から離れない・・・
「孤独」であることが辛く感じることもあるでしょう
禅僧たちも、思考のノイズ、いわゆる邪念や雑念と呼ばれるものを取り払うのに大変苦労されるそうです
「孤独」の中にいるからこそ、邪念や雑念、思考のノイズを取り払って、無心になる時間
それこそが心がリラックスする時間なのではないでしょうか
手前味噌ですが、そんな時は苔テラリウム作りはお勧めです
苔テラリウムを作っているときは「孤独」です
一人で黙々と作ります
苔を丁寧にピンセットで持って、レイアウトや苔の向きなども気にしながらゆっくり慎重に挿す
そんな時に嫌な上司の顔は思い浮かびません
苔テラリウムを作ることは、「自分と向き合う時間を作ること」だと勝手に認識しています
目の前のテラリウムに集中して、他のことは考えられない
苔テラリウム作りは禅の修行に近いものを感じます
日常生活をしていたら、なかなか世俗と離れることはできません
かといって、山奥で隠遁生活を送ることも難しいでしょう
そんな時は「孤独」な時間を、苔テラリウムを作って楽しむ
目の前のことだけに集中して、心は世俗から離れて自由になる時間を作っても良いと思います
ただ、「孤立」はよくありません
孤立している心はトゲトゲしく、心が荒んでいる状態です
白雲がゆっくりと広がるように心の中に苔を広げて、苔テラリウムを抱いてみてください
意識的に「孤独」な時間を、苔テラリウムで作ってみてみることをおすすめします
モスパラでした